最近の腐女子に思うこと。
※つらつら思ったままに書いていくので小論文みたいにちゃんとした文章じゃないよ!
※思ったことを思ったままにフラフラ書いているだけだよ
自力でHTMLを書き、携帯サイトフォレストやエムペ、ランキングサイトを駆使して創作活動をしていた世代。
連絡を取り合うのもあの頃は文通とかだったね。
あの頃に比べたら腐女子…というかオタクの活動環境は格段に良くなった。
SNSの発達で推しのサイトの掲示板に日参してコメントを書き込んだり、web拍手を地道にして管理人と仲良くなるための努力をしたり、いろいろなチャットサイトを覗いて友達を探しに行ったりしなくても簡単に「つながれる」ようになった。
あの時代のオタクのコミュニティというのはとても狭かったのだなあと今になってみるととても思う。
学校の友だちか、それが絶望的ならネットに友人を見出すしかなかったが、あの頃のネットはアングラ期でもあり、ネッ友=犯罪予備軍という危機感が拭えなかった。
(もちろんすべてがそうだと言っているわけではない。確率の話である。もしかしたら私自身がそういうページしか見つけられなかった可能性も拭えない)
ただまあ実際、リアルが崩壊してるメンヘラ率も高いのなんのって。
ともあれ、そんな時代に比べたら今のオタクの「つながりやすさ」と言ったらない。
Twitterで作品を投稿する、カプ考察を投稿する、繋がろうタグを使う。
それだけで簡単に同志が見つかるようになったのだから良い時代だ。
世間も多様性に対する認知や受け入れが進み、「ああ、BL?そういうのが好きな子いるよね」と私はよく分からんけど、それが好きならいいんじゃない。と受け入れてくれる人も随分増えた。
良い時代にはなったが、その分腐女子たちの自意識が肥大化しているようにも最近思うようになった。
某氷上スポーツアンソロのカプ炎上問題、二次創作がグレーゾーンだそうじゃないだ問題、同人グッズ問題、地雷と自衛問題……「学級会」や「炎上」などで調べると死ぬほど出てくる。
ただ共通して思うのは、彼女らが自由を知ったことによって、自由と身勝手を履き違えている人が多いのではないかと思うのだ。
【某氷上スポーツアンソロのカプ炎上問題】
この炎上問題は要するにABアンソロなのに途中に描写としてCAが出てきたから炎上したというものだ。
CAは過去に肉体的な関係があったと回想またはイメージで示唆されており、話の本軸にCが出てきてAと付き合っているBにちょっかいを出そうとし、Aがそれを牽制するという内容だ。
所謂元彼の今彼に横恋慕ってやつ。
それが「ABアンソロのはずなのにCA要素があったから」という理由で炎上。
本の中身をスクショで晒してまで訴えようとしてくるアカウントまでできていた。
その際に若いお嬢さんたちと歴戦の腐女子たちの口論がかなり白熱した。
歴戦「この程度でダメとか今の腐女子軟弱すぎだろ」
↑主にこの口論が多かったように思う。
ただ、冷静になってみて欲しい。
ABアンソロにCA要素が入っていたとしても、あくまでCは踏み台にすぎないのだ。
ABの愛を深めるために何を取り入れ、何を踏み台にするか、それは創作者の自由でそれを読者側が侵害する権利はないのである。
アンソロ主催側も内容をチェックした上でこれが「ABである」と認めて掲載していると正式発表もされている。
であれば、それはCAを踏み台にしたABが更に愛を深める話なのである。
それ以上でもそれ以下でもない。
そして読者側がそれを主催に対して配慮を求め、外野が糾弾すべきことでもない。
この炎上は腐女子の「お客様意識」が肥大化した象徴的な問題なのではないかと私は捉えている。
「読めない私に配慮をしろ」と外側に求めるのは大間違いだ。
創作する自由は誰にでもあり、それを個人の趣味趣向によって制限するのはまさに表現の自由を阻害していることにほかならない。
それはそれとして、このトラブルを未然に防ぐための注意喚起を入れられなかったという点も浮上してくる。
話は変わるが、日本は注意書きが多いのをご存知だろうか。
バスや電車では「止まり(発車し)ます。ご注意ください」。
改装工事の時「誠に勝手ながら、改装いたします。ご迷惑おかけしてすみません」。
駅には「線路内立ち入り禁止」。
当たり前の注意や警告が多い。
これは責任やクレームを回避するためのものであるが、そもそもとして
バスや電車が発車・停車する際に揺れる、交通状況によっては急ブレーキをかける、という状況は誰にでも想像できることである。
当たり前の注意書きが多い。
これらが増えた要因は紛れもなく、日本人の想像力の欠如である。
熱い食べ物や飲み物を頼んだら熱いのは当たり前。
建物が古くなれば、テナントが入れ替われば改装するのは当たり前。
発進すればいずれは停車するのも当たり前。
それらにいちいち注意喚起をしていったら、どこまで想像能力が欠如していってしまうのだろうか。
このアンソロ炎上問題も事前に「この話にはCA要素があります」と注意書きをしておけば、その話だけすっ飛ばして読めばいいだけの話で、配慮がなされていると思うかも知れないが、しかしながらそれをし始めたら一体どこまで注意書きを書けば良いのだろう。
それを容認してしまったら、創作者側がどこまで配慮すればいいのだろう。
例えば、「推しカプに玄関セッさせたら、玄関セッ地雷ですやめてくださいちゃんとベッドでさせてください」というコメントが来たみたいな話もたまに聞く。
個人の趣味嗜好に対して創作者側がどこまで先回りして配慮すべきか。
限定的な趣味嗜好を持った人間がどこまで我慢や自衛、スルー能力を身につけるべきか。
それは十云年前からずっと繰り返されてきた答えのない論争ではあるが、
しかし現状の腐女子の意識の肥大化が一つの問題として浮上した象徴的な現象だったと思う。
なぜかって、あの炎上問題は一人があくまで個人的な感想として呟いたものを外野が勝手に取り上げて、至るところに飛び火してあの炎上問題になったのだ。
そこに紛れもなく「お客様根性丸出しの腐女子」がいたことは間違いないだろう。
(あるいは炎上させるのが好きな性格歪んだ人がいたかもしれない)
この問題に関しては、まだまだ考える余地がありそうだ。
しかしながら読み専も、書く(描く)専もこの問題は他人事ではない。
腐女子である限り、この問題の当事者である。
【二次創作や同人活動がグレーゾーンかそうじゃないか問題】
今更この問題が出てくるのか、と思ってしまうお歴々もいるだろう。
けれど度々同人界隈で起こる「同人誌の価格が高い問題」「公式ロゴ使った問題」「トレス問題」…問題問題問題。
しかしながら考えてみれば、新世代の腐女子たちは最初からTwitterがあり、Twitterで度々起こる同人問題も「誰も新世代に向けて分かりやすく解説しない」のだ。
してもそれにまた文句つけるやつがいて、議論になってしまい、結局の所結論がよく分からなかったり。
私は法律の勉強をしたわけではないので、あくまで一般的な認識の程度で書かせてもらいます。
端的に言えば「二次創作」自体はグレーである。
ただグレーとされているのは金銭の発生しない場合のそれらはすべて「ファンアート」であるからだ。
創作を売りにしている公式がファンアートを規制することはまさに矛盾しているため、公式側もそれを規制することはほぼ無い。
であれば「ホワイトじゃないの?」って思うかも知れないが行き過ぎたファンアートの内容は他人に不快感を与えることもある。
それはBLだったり百合だったりヘイト創作だったりいろいろだが、「節度を持って創作してね」が大前提だ。
創作は自由なのである。しかし自由と自分勝手は違う。
節度と配慮を持って創作活動しなければ、回り回って公式の評判を落とすことになりかねない。
だがしかし、同人活動となってくると話は別だ。
金銭の発生する同人誌(同人グッズ)は法的には黒である。
だから訴えられれば確実にこっちが負ける。
しかし現状として何故それが公式側にスルーしていて、黙認されているのか?
同人活動というのは元々は物々交換だったのである。
「私の作ったAちゃん小説とあなたの描いたAちゃん漫画を交換しましょ♡」
「やった~!交換しよしよ♡」
というのが最初の同人活動だった。
しかしそうなってくると必然的に取引の相手というのは創作ができる者のみに限られてくるのだ。
必死にそこに食い込んで行きたくとも、創作の出来不出来は人によって得手不得手があるように差が出てきてしまい、望みの相手と取引させてもらえなかったり、人気の人のところには「欲しくはない…けれど捨てるにも捨てられない同人誌」が積み上がっていくことになる。
そこで出てきたのが
「私、創作はできないけど、印刷代を負担するからあなたのAちゃん漫画が欲しい!」
というものである。
これであれば前述したような「捨てるに捨てられない、欲しくもしない同人誌」が増えることもなく、印刷代のコストが下げられて、かつ自分の創作物を他人に読んでもらえるという現状ができあがった。
創作できない側も血反吐吐きながら下手くそな創作をしなくても良くなった。
これでかなり「同人活動」のハードルが下がったことは間違いない。
また、同人活動というのは元々は同人サークルとして複数人で行うものだった。
そして同人誌というのはサークル内で発行されるサークル紙。
だからその同人サークルに所属する人だけがもらえる。
所属する人というのは同人サークルを維持するためのサークル費を払う。
それが「印刷代負担するからその作品譲ってください」に転化したという経緯もある。
だから同人誌は「販売」ではなく「頒布」なのだ。
金銭が発生しているため便宜上「買う」と表現しているが本来適切なのは「譲渡してもらう」なのだ。
昨今の問題を見ていると、サークル側の同人誌の値段に文句をつけては炎上している案件をいくつか見る。
彼女らはそういう「成り立ち」「コスト」を知らないからそう宣うのである。
そして中には「同人誌って儲かるんでしょ?」なんてことを思っている人さえいる。
そんなわけあるか。
参加すれば毎回新刊が売り切れる大手サークルでも、出たら出ただけ赤字が嵩張る弱小ピコサークルでも、共通して言えることは一つである。
二次創作の同人活動で黒字は出してはいけない。
(ましてや第2の品●かお●こは本当にやめて欲しい限りである)
この掟だけはどんなに時代が変わっても、変わってはいけないのだ。
【同人グッズはもっと危ない問題】
同人の話はついつい長くなっちゃうね。
最近流行りの同人グッズ。
少し前までは「同人グッズで金銭授受が発生するのはご法度」でした。
それは何故かと言うと、
①公式と競合してしまうから
②公式であるか同人であるか判断つかない場合があるから
です。
同人誌だってそーじゃん!って意見あると思う。
でもさ、原作のAとBって恋人じゃないしましてやセックスなんてしないでしょ?
かつ同人誌は本であるがゆえにそのもの自体に
「これは非公式ファンブックです」って注意書きを付けられる。
だから中さえみればそれが「公式物ではない」ということが一目瞭然なんですね。
ですが同人グッズはそうはいかない。
(何年か前に同人グッズにCマークつけて問題になったのもあったよね)
グッズは一つの絵柄でキーホルダーやアクリルスタンドなどを大量生産し、公式側が手っ取り早く利益をあげるための商材の一つです。
その利益が次のグッズや原作のメディア展開などに繋がっていきます。
また、原作の著作権を持った会社に「版権使用料」を支払い、グッズを販売する「グッズ制作・販売企業」もあります。
契約の中でおそらく「版権使用料を何らかの単位ごとに支払い、そして売上の何%は著作権元の会社に入る」という契約の元でグッズを販売していると思います。
なので、公式もグッズ企業も我々オタクに買ってもらえそうな商品を日々模索していて、それ故に商材や絵柄も多様化してきています。
それ故に同人と公式のグッズの境が曖昧になってきている。
そして同人グッズがそのビジネスの場を圧迫している。
もちろん100%そうだというわけではないが、現実として圧迫しているのは事実だ。
同人があくまでファンアートである以上、公式側としては「同人グッズとネタ被りするようなものは出せない」のが一般的だ。
つまり同人でネタを先に出されてしまったら、公式はそこで飯の種を一つ失うことになる。
しかし、ここまで同人グッズ界隈が盛り上がっている中、「グッズはやめろ」というのはもはや不可能であり、そして横暴でさえあるかもしれない。
実際、公式によってはグッズに関するガイドラインを出しているところもあるので、それさえ遵守すればそのグッズは出せるのだから。
グッズを出すみんなは、それらをよく考えた上で自分が何を作り、作ったものがどんな影響を与えるのか考えながら活動してみてほしいと思う。
単価は高くなるけど、自分用だけに作るとかごくごく少数だけ作るとか。
創作は自由であるが、自由と身勝手は別物である。
まずは公式に「こういうグッズ欲しいです!」ってお手紙出そう。
ざっくりではなく事細かに書くと良いかもね。
あと買う側も公式イベントに行く痛バに自分で手作りしたものではない同人グッズつけるのはご法度ですからね。
(つまりイベントやとらあなとかで購入した同人グッズ)
同人グッズを公式の場につけていくってすごい失礼なことだからね。
公式の目の前で海賊版DVD掲げるのとほぼ同義だっていう自覚を持ってね。
※自分で手作りしたうちわや缶バッチなど手作りグッズを自分または家族だけで共有するとかならOKだそうです。
※仲間内での頒布・共有はだめです。=友人間だと家族と違い人員が入れ替わりが激しく関係性も血縁に比べて希薄なため。だったかな。詳しくはググってみてね。
同人の話これでおしまい。
【棲み分けと検索避け、節度の問題】
ちょこちょこ各地で起こっているボヤ騒ぎ。
固定過激派と雑食の棲み分け問題とか、検索避けの話とか。
ここに来るまで書いてきた通り、「二次創作自体」は「ファンアート扱い」としてグレーではある。
ただし節度を持って活動しないと公式の評判を落とすことになる。
言うまでもない話だ。
それを「創作内容は私達の自由だ!」というのを理由に好き勝手するのは身勝手というものではないだろうか。
カップリングの棲み分け問題は正直
・投稿側はカプ名を明記し、特殊プレイ・性癖などもタグ付けする。
・閲覧側は地雷ワードをミュートワードに設定するまたは地雷カプ書く人を片っ端からブロックして回る
これで解決すると思うのだ。
ん?閲覧側の労力が多い?
それは仕方ないんじゃないですか。
好き嫌いしているのはその人個人の問題なんだから。
その労力や責任を他人に転嫁するのは責任転嫁ってやつですよ。
労力をかけたくないなら寛容にならなければならないし、寛容になりたくないなら労力をかけなければならない。当たり前のことです。
だってそれを見たくないと思うのはあなたなんだから。
「創作は自由である」
「閲覧も自由である」
しかしその責任を持つのはいつだって自分自身です。
正直女性向けにも男性向けのような「合理的なタグ付け文化」が根付けばいいのになってすごい思います。
まあカプや地雷側との棲み分け問題より、今個人的に問題だなって思っているのは、
「検索避けもせずに鍵パカ垢でキャラのエロ話をする腐女子たち」
だと思うんですよね。
私も腐女子なのでえっちな推しは好きです。
えっちな推しカプとかもっと好きです。大好きです。
でもその話って鍵パカ検索避けもせずにして良い内容って本当に思いますか?
誰がどう見てもその言動や内容はキャラクターを性的に消費していることにほかならないわけですよ。
私達は女性で特に男性の性的消費の対象であり、それに対してここまで「やれ痴漢撲滅だ」「やれ女性を性的な売り物にするな」など社会現象が起きている…。
つまり社会はそれだけ性に対して倫理観を持ちましょうねっていう社会になっているということでは。
性欲があるのは動物として当然のことだけど、それを理性なく表に出すのは恥ずかしいよ。理性と倫理観を持ってねってこと。
それ、腐女子にだけ適用されないっておかしくない?
人には承認欲求があり、それと同じく性欲もある。
だからR-18話や絵、小説の方が圧倒的にいいねやRTを貰いやすく承認欲求を手っ取り早く満たすにはエロを書いておけば一定の数字は稼げます。
何を理由にエロを書くにも話すにも自由ですが、真っ昼間から公衆の面前でする話ではないですよね。
ていうか真夜中だろうか早朝だろうが人前でする話ではなくない?
おかしいな~っていう人をこないだ見かけたんです。
Twitterのプロフ欄に「18歳未満フォロー禁止」って書いてあって、憚るようなことをいうアカウントだと意思表示もしているのに鍵パカ。
なんで???????
これだけ客層が蔓延っているSNSを???調査しないと???思うんですか?
ソシャゲの公式アカウントが同人活動してるファンをフォローしてるなんてこともあるのに?
公式との距離が近い時代だという意識を持ってそれなりの棲み分けをすべきではないですかね。
最初の方に「二次創作自体はファンアートだからグレー」って書きましたが、「(節度を守っていれば)二次創作自体はファンアートだからグレー」ってことですよ。
倫理観や一般常識に沿って行動するというのは人としての大前提ですよ。
ぷらいべったーもふせったーもあるのにどうしてそれを使わず、鍵パカ垢で検索避けもせずに人目を憚るような節度のないツイートをするのか。
言っとくけどキャラの頭2文字だけとかエゴサで普通に引っかかるかりますよ。
それこそが腐女子の意識の肥大化の真骨頂のように私には思える。
男女問わず人目を憚る話は隠れてすべきです。
電車に乗ってて眼の前の男性がエロ本読んでたら嫌でしょ?
隣のおっさんがエロ動画をイヤフォンもせずに見てて気持ち良い?
皆さんどう思います?
エロ本読むのもエロ動画見るのも自由だからOKだと思います?
鍵パカで検索避けもせずにあられもない話をするというのはそういうことじゃないですか?
最近流行りのプ□〆アも危険だな~と思って見てます。
私も何回も見に行ってて好きな作品なんですけど、キャラの名前がシンプルなのでエゴサすると出てくる出てくるカップリング絵とあられもない腐女子のえっちな妄想。
監督のインタビュー記事などで「ガ□リO(またはその逆)は公式」みたいな扱いになってますが、これはBLアニメではありませんからね。
BL解釈もできるように作ってあったにしろ、節度なく呟いて良いわけではないように思います。
自由と自分勝手の違い、考えてみませんか、腐女子の皆さん。
あ~~~~コメント欄に
「何を呟くのも個人の勝手だろ。お前も個人の自由を侵害してる!」って書かれるのが目に浮かぶ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
皆さんは、自由と自分勝手の違いは何だと思いますか?